変われない自分に、どうしようもなく辛くなった時に読む記事

生き方

変われない自分、努力できない自分、過ぎ去っていく時間

「限られた時間で、いかに自分を変えて、結果を出すか」という課題は、誰の人生にも常につきまとうものだ。

「優秀」や「成功」、「努力」といった言葉は、そうやって立派に自分を変えられた人間にのみ与えられる。

それはこの人間社会の、広く言えばこの地球で生きる上での、宿命である。

自分を変えるために

人生の時間は限られている。

そのくせ、自分を変えることは難しい。

「こうなりたい」「変わりたい」と漠然と思っていているだけで、自分が夢見る結果を手に入れることはほとんどない。

限られたリソースの中で、計画的に努力しなければ成し遂げられないことばかりだ。

24年の人生で嫌というほど痛感させられた。


「こうなりたい」という憧れを持ち続け、そうではない自分に満足がいかないまま、一年経っても、二年経っても、大して変わらない自分で過ごしてしまう。

そういう日々を送っている人は、多いのではないだろうか。


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効率よく自分を変える方法論は、自己啓発のメイントピックの一つだ。

  • 目標を具体化して、常に目標を達成している人の目線で行動する
  • なぜ変わりたいのか、動機を明確化する
  • 変化を潜在的に恐れる自分を受け入れる
  • 環境を変えて、理想とする人に囲まれるようにする
  • できている人に積極的にアドバイスを求める

など様々なテクニックが存在する。

たしかに過去に自分が変われた時は、そういう環境があったかもしれない。
まわりを見ていても、成功している人は、たしかにそれらを実践しているかもしれない。


しかし、未完成な私の場合は、プライドが邪魔をしたり、現実の様々な制約がそれを妨げたりする。

小利口になるな。バカになって、思い切ってリスクをとり、自分を変えてみろ。

成功者はそう言うかもしれない。

でも人間、そんな器用に思い切れないことも多い。

夢・目標に対する熱量が足りないんじゃない?


たとえば今、あなたは恋人とタイでの旅行中、森の中でトレッキングをしているとする。
すると突然、あなたの恋人が、もう完治したと思っていた持病の発作を起こした。
森の中だから、近くにはすぐに行ける病院もない。
あと3時間以内に治療を受けないと、その恋人は死んでしまう……..

もしそういう状況だったら、あなたはどんな手を使ってでもその人を救おうとするだろう。
近くにいるどんなに人にも必死で声をかけるだろう。
なんとしても車を今すぐ運転できる人を探すだろう。
もしかしたら、病院に行く前に近くで医者を見つけられないか、必死で可能性を探るだろう。

俺が成功できたのは、自分の夢に対してそれぐらい必死さを持てたからだ。

うろ覚えだが、大学一年の頃、どこかのメディアで目にした映画監督の言葉だ。

彼はもともとサラリーマンだったか何かで、本気になって脱サラし、映画監督になり、話題作を何本も出しているとかいったような、そういう人だったと思う。

人間の仕組み上、それぐら思いが強くないと、どこかで安定を求める潜在意識を超えられないというのは事実かもしれない。

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こんな話を聞くと、自分の「変わりたい」という欲求は、んーそれぐらい強いような、いや、んーそれよりは弱いような、ふわふわしたものであることに気づかされる。

しかし、思いの強さはもしかしたら違うかもしれないが、
私だって、映画監督とほぼ同じように「変わりたい」「叶えたい」思っていることはまぎれもない真実だ。向き合わないと将来いつか絶対後悔するものだ。

ここで思うことは、結局、我々にとってそんな風に脳に浮かんでくる自分の欲求に対して、今今、どこまで正直に向き合い深掘りできるのかが、勝負になってくるのだろうということだ。

向き合わないと、日々はただ流れていく。特に変化もないまま、今年も年越しの鐘を迎えることになる。

日々生きることで精一杯だから、自分と向き合う時間は意図的に作り出さないといけない。

もしかしたら「自分の人生を生きる」とは、そういう行為をさすものかもしれない。

変わりたい気持ちと隣り合わせで、幸せに生きる

誰しもどうせ死ぬ運命だが、その中でも人は少なからず何かを達成したいと思って生きている。より自分に価値が付くように、変わっていきたいと思っている。

とはいえ、今の自分のスキルや資産だけで、叶えたい夢を達成できる人はほとんどいない。

そんな私たちを横目に、時間は今も過ぎ去っていく。

老いの残酷さに嘆くのにはそういう背景があるのだろう。



生きた時間が、単純に老いた時間になるのか、それとも成長した時間なるのか。

その道を決める自由な時間を、我々は「人生」と呼ぶ。

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私の悪い癖だが、重たく考えすぎてしまう。

重たく考えすぎると、多分いろいろな点で幸せになれない。

否定して生きる人生は辛いし、いろいろなところに支障が出てくる。

別に自分を否定しなくていい。

たとえ今日もまた変われなかったとしても、それはあなただし、今日を生き抜いた一人の人間だ。

そのあなたが今日生きた一日は、例えビルゲイツが1億ドルの資産を投げ打っても、Googleが最強のAIを作り出しても、絶対に変えられないものだ。

しっかりと受け入れることだけが生きる我々ができる唯一のことだ。



自分のまわりに現れる変わることのできた人間と比較して、自分の非力さに悩む必要もない。

あなたにもタイミングは訪れるし、「変われた早さ」だけを価値軸にしないでいい。

人生の価値軸はもっと広く、多様だ。

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どんなに愚かに思えてしまうような時間も、「幸せだったな」って味わえる心が一番必要だ。

その上で、「自分ってもうちょっとできるんじゃない?」と思えたときに、頭を使って頑張ればいい。

自分を否定するのではなく、「立ち止まっている時間がもったいないね」と前向きに思えるまで、自分を見つめ、受け入れて、許してあげる。



生きている中で最も若い今、自分を受け入れながら、ポジティブに変われますように。

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