※この文章は、2019年の11月に書いたnoteをリライトしたものです。登場する状況などは、当時のものです。
年下の大学生たち
大学院生になると、学部生の授業でティーチングアシスタント(TA)をする機会がある。
大学二年生の授業を担当しているから、年齢的には三〜四歳下の世代と触れ合っていることになる。
今日もいつもと同じように火曜日一限の授業に行き、授業開始の15分後にショートテストの解答用紙を配りながら、教室全体を見回して、ふと思うことがある。
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「自分にもそんな時代があったぁ」と。
そして同時に、「年下の彼ら/彼女らには、これから大学2年生の秋冬も、大学3年生の生活も、大学4年生の生活も、残されている」と思うと、シンプルにうらやましい気持ちになる。
老いとはそういうものなのかと、少し悔しくなる。
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この世間に、中学、高校、大学時代に戻りたいと思う人は多くいるだろう。「青春コンプレックス」という言葉があるぐらいだ。
世界はきっと、10代を、20代を、30代を、40代をやり直したいと思う人で、溢れているのだろう。
そう思う背景にはきっと、今はもう過ぎ去ったそれらの時代で、もっと活発に、もっと美しく、もっとドラマチックに、時間を過ごせたらよかったと思う気持ちがある。
もっと思い切って自分の好きなことをして、もっと世界を広げて、もっと効率よく自己実現をして、時間を過ごせたのかもしれないという後悔があるのだろう。
そういった思いは、この世のほぼすべての人が、多かれ少なかれ抱えているものである。
「自分はやり切った。過去に思い残すことはない。」
そう思える人は素晴らしい。理想的だ。その境地こそが、人生の一つの目標と言っても良い。
はじめからそう思える強い人は一定数いる。そういう人は輝いていて、オーラがあって、素敵だ。
しかし私はそうではなかった。
考え尽くして出した結論
自分よりも若い人達を見て、色々考えていた。自分よりも若くて“イケている”人たちを見て、自分に自信をなくすような、みじめな気持ちも沢山経験した。
悩んで、考え尽くして、出した結論がある。
- 感謝すること
- 自分の人生を思い出すこと
である。
感謝すること
まず、ここまでそれなりに、健康に平和に暮らせていること自体には、本当に感謝しないといけない。
それなりに平和に暮らせていることが何よりも幸せであることは、災害や不慮の出来事が発生した際に、つくづく痛感することだ。
感謝がすべてのベースになければ、この人間社会において、様々な場面で失敗することになるだろう。
それに加えて、自分自身がいつまで経っても満たされず、幸せになれない。
自分の人生を思い出し、見つめること
「辛い過去は忘れる。」「認めたくない昔の自分はなかったことにする。」という戦略がある。
「過去は忘れて、新しい自分で生きよう。」というスタンスだ。
しかし経験上、それをしていても幸せになれないという結論に至った。
忘れようとしていても、絶対にどこかで昔の自分と向き合わないといけないタイミングが訪れる。
そんな時にガタくる。
マイナスな気持ちが、キャパの少ない頭の中をいっぱいする。
ここまで年を重ねた上で、今自分の人生を振り返ってそれが本当に素晴らしものだったのかどうか、答えを出せなくなる。
そして年をとっているから、その満足していない部分を、自分に残されたライフステージで挽回仕切れるのか不安になって、絶望的な気分に陥る。
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「過去は振り返らないで、前だけを向いていく。」「過去にとらわれないぐらい、今に集中する。」という主張もよく耳にする。
それもあまり好きではない。
そこまで軽く、私は明るくなれない。
変な言い方になるのを恐れず言うと、そのスタンスでは、この魂は、癒えない。
過去の成功に固執しない、これからの未来を全力で切り拓いていく、という姿勢はもちろん手放しで賛成する。それは最も尊厳に満ちたマインドだ。
しかし、過去を一切振り返らないと、これまで生きてきた自分はなんだったのか?という気持ちになる。
自分に統一性が持てないまま、かりそめの自信、仮の勢いでその場をしのごうとしている感じがする。
その自信や勢いには、致命的な脆弱性が潜んでおり、それを必死で隠しながら生きるのは、苦しい。
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自分の過去を受け入れられず、他人の人生を羨んでしまうようなメンタリティは、日々の生活のパフォーマンスにも影響する。
自分の過去に対する屈託が、仕事の邪魔をしてしまうのだ。
たとえば対人関係。
自信のない、余裕のない内面から出るコミュニーションでは、上手く人を惹きつけることができないし、それはビジネスの世界では中々のボトルネックになる。
恋愛のパフォーマンスにおいてもそうだろう。
他にも、記念日や人生一度きりのイベントなど、本来なら真に幸せになれるべきタイミングでも、色々考えてしまい、目の前の幸せに集中できない。
自分の過去を受け入れる心
そう考えると、自分の過去を見つめ、思い出し、受け入れ、愛することが、不可欠だ。
今やり直したいと思っている過去の時代で、何をしていたのを、しっかり思い出すべきだと思う。そしてその時の自分の判断、思考、行動を愛することが不可欠なのだ。
「何を言ってるんだ、それが愛せないから、途方に暮れるほど過去に後ろめたい気持ちを抱えて、生きてるんだ。」
そう思うかもしれない。
しかし、過去はどうやっても、本当にどうやったって、変わらないのだ。
それがこの議論のスタート地点であり、結論だ。
そして上で述べたように、目を背けている限りいつまでも強く、幸せになれない。
だからしっかり思い出して、見つめ合って、受け入れることが大切なのだ。
今もっと幸せになりたいと願っているあなたは、あなたが今やり直したいと思っているその時代でも、その時の自分なりに精一杯幸せになろうと生きていたはずだ。
その時の自分なりに、できる限りかっこいいよくて、より良い人生を目指して行動していたと思う。
上手く努力できずにぼんやり過ごしてしまっていたあなたも、とりあえずその時はそれなりには生きていただろう。その時、何かしらの意図を持って何かしらのことをして生きていたはずだ。
特殊なケースをのぞいて、少なくとも誰かには愛され、支えられて生きてきただろう。
そんな自分の人生にしっかり物語を見つけ、「過去は変わらないし、そうやって生きたのが俺なんだ」と広く味わいのある心も持てた時、自分より若い人を見ても惨めに思うことはもうなくなる。
ポイントは、「過去は変わらない」事実を徹底的に、本当に徹底的に理解すること、そして”味わいのある”人生の捉え方ができるようになること、の2点だ。
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どんな過去も受け入れ、それを愛した上で今を積極的に生きようという生命的躍動感。
”定め”のなかで、底無しの明るさを、不変の属性としてもつこと。
それを人は「自信」と呼ぶんだと思う。
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私は実は「過去は変えられない」ことを受け入れるのにはかなり時間がかかった。
理解はしているし、受け入れようとしているけど受け入れ切れない私を、最終的に決定的に諭してくれた言葉を紹介したい。
「『死』とは何か」という最近流行っている本で見つけた言葉だ。
変えられない過去を嘆くのは、1+1がなぜ6にならないのかを嘆くのと同じだ。
無意味に思えてこないだろうか?
大学院に進むほどの理系人間だったからこそ、この言葉が妙にささったのかもしれない。
おわりに
現在自分は23歳だが、自分の過去・現在・未来と本当にしっかり向き合わないと,30歳になった時、23歳の後輩を見て,また後悔とうらやましさが混ざったマイナスな気持ちを抱くことになるのだろう。
そうはなりたくない。自分を受け入れて、今を精一杯生きようと思う。
自分の場合は、Evernoteというクラウドノートサービスを使って、散々頭に浮かんだ後悔や、思考、なりたい自分などをとにかく書き出すことで、自分と向き合うことができている。
脳のリソースには限界があるし、日々頭の中で色々考えているだけでは、ちゃんとした答えにたどり着くことはできない。
頭の中が行ったり来たりして、思考が前に進んでいかない。
一週間前考えていたことを忘れてしまうかもしれない。
「創造的人生を歩むためのヒント」というタイトルは謎だが、ここのノートブックにひたすら書き溜めている。気づけば1290個もノートが溜まっていた。
ここまでかなり時間をとって、本気になって書き始めてから約一年半ほどかかった。
それぐらい時間のかかる、行程だった。
「人生を探す時間」というのは、そういうことなんじゃないかと自己解釈し、今日も優先度高く書き溜めている。
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