夕暮れバイトしながらお店に来る色々な人を見ていた

随筆-Essay

※この記事は、2019年1月に書いたnoteをリライトしたもので、状況などは当時のものです。

大学4年もあと少しで終わろうとするころ、いつものように土曜日の夜、お好み焼き屋のシフトに入る。

うちの店は、今人気のベッドタウンのショッピングモール内にあり、値段帯はすごく高いわけではないが、すごく安いわけでもない。

キリンビールジョッキ640円、お好み焼き1,200円と言って、どれくらいの価格帯のお店かわかるだろうか。

色々な人が来る。

地域で数少ないお好み焼き屋ということで、一番多いケースが、お父さんとお母さんと小さい子供2人の4人組、といった家族連れだ。

親が子供にご飯を食べさせる。子供も楽しそうだ。

子供の行儀の良さのレベルにも色々あり、帰った後のテーブルの汚れ方も家族によってまちまちだ。

全員が頭の良さそうな見た目の家族、全員がちょっとぽっちゃりとしたような家族、子供が親に色んなことを質問する家族。

お姉ちゃんが面倒見よく妹の世話をしている家族。

色んな家族をみる。

カップルもよく利用してくれる。その様子もテーブルによって様々だ。

社会人カップル、大学生カップル、すごく優しそうな老父婦。美女と野獣のようなカップル。そしてちょっと、というかかなり険悪そうなカップル。

昔の私をみているような、親と一切話さない男子高校生をつれた、お父さんとお母さん。

制服を着ていて、いかにも受験が近いような雰囲気の娘とお母さんなど様々だ。


上司1人、部下2人、のようなスーツ姿の人達も、テーブルに座っている。

私服の女子高生のような二人組も、向かい合って、お冷片手にコイバナをしている。


色んな人が、この12卓ほどのお店で、夕方を過ごしている。

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これは川崎のなかの、とある一つの街の、とある一つのお店の、とある日の夕方の光景に過ぎない。

この地球、この世界は、これの何倍の”広さ”があるのだろう。

空間的にも、時間的にも。


うちの店よりも斜め向かいのハンバーグ屋の方が大きい。
斜め向かいのハンバーグ屋よりも、駅前に並んでいるお店の方が大きい。
その駅前のお店よりもこの街は大きいし、この街なんかより東京都はもっと大きい.

当たり前すぎるが、世界は、東京都よりもはるかに大きい。



どれだけの人が、今日を生きているのだろう。

そして究極的な話をすれば、どれだけの人が、人類誕生から生きて、死んでいったのだろうか。


そのなかで自分はなんなのだろうか。


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自意識とか悩みが、ちっさくちっさく感じられる。

とはいっても、同時に、その小さな自意識とか悩みこそが、私の生きている世界そのものだという考えに落ち着く。

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鋼の錬金術師は大好きな漫画だった。物語を通して、主人公が「一は全、全は一」という真理の言葉を悟っていくような場面があったと思う。

もしかしたらその言葉の意味は、そういうことなのかもしれない。
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よくわからないから、考えていかないといけないけど、考えているうちにたぶん人生は終わるんだろう。

その手の話は、哲学者がある程度考え尽くしてくれているから、哲学の世界を学びにいくのがよいのだろう。


少し宗教チックな話になったが、とにかくこの世界は不思議だ。

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仮に私がこの10年前に生まれていたとして、そして今日ふと、33歳の大人としてこのお店を訪れていたとしたら、その私はそこでバイトをしている大学4年の学生に、どう見られているのだろうか。


そんなことを、「動きが遅い」 とバイトの先輩に怒られながら、考えていた。


※最後に
コロナ騒動が落ち着いて、またこういう日常が戻ることを心から祈っています。

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